Romanticism

バンギャと若手俳優追っかけと二足のわらじ

演じることと自己表現

テレビ自体そんなに見ないので、このブログを番組レビューにするつもりはないけれど、これもなかなか良かった。飲みながら見たら、割と何でも楽しいのも事実。働き始めて以降、1人暮らしをしていても、実家同様に朝のニュース含めてNHK稼働率は高い。そして、金曜のこの時間にテレビを見てるのは、転職のおかげと言わざる得ない。前職なら早くても20時から飲みに行ってた。最終的に朝3時まで。サラリーマンしてた。
 
つい話が逸れたけれども、平成に入ってから歌手が「アーティスト」になった、というコメントがとても面白かった。アーティストは自己表現、内面を表現をしようとしていて、歌手は歌詞を演じる「俳優」だと。
 
こう長くバンギャで、俳優好きをやってると、「そう、求めてるのはあくまで演じているところ!!!」となる。舞台やバンド内での設定を、その人がどう演じるかを見たいがために、わたしは追っかけることをやめられない。演じてる姿が好きなんだ。
 
平成生まれなのに、冒頭の番組のように昭和の歌謡曲に明るい訳でもないけれど、2005年以降の流行りのJ-POPや日本の音楽はもっと知らないし、正直興味がない。その頃からヴィジュアル系というジャンルにハマってしまったのもあるけれども、歌詞に対して「うるせぇな、黙れ」と思うことが多くなってしまったから。
 
特にわたしが嫌いな最近の日本の音楽は2種類。
 
  1. メッセージソング現状肯定系、「ありのままの君で良い」とか、恋愛楽しい系も含む。歌詞が詩ではなくポエム。
  2. 頂点目指す系ソング: 歌い手の感情曝け出し、意識高い系とか反抗期系。頼んでいないのに勝手に連れて行かれる。
どちらも「自分の世界観にこちらを巻き込むな」と。詩を書け、詩を。
ポエムや反抗期の日記はいらない。後者について言えば、わざわざ言うなと。反抗期の中学生みたいな歌詞が嫌という訳ではなくて(流石にギャなのでそこは否定しない、というか出来ない)、歌でネチネチ言わないで黙って実行すれば良い、と思ってしまう。あくまでどう描くかが見たい。感情を共有するためじゃなくて、叙情を共有したいだけ。
 
最近思うのが、そんなに与えられたものをそのまま共有、共感しないと駄目かなと。そこから違う絵を描けても良いんじゃない?余韻が少ないのかな。俳優界隈だと原作ファンと俳優ファンが云々というのと見かけたりする。でもそれって根本的に違うよねと思ってしまう。違う媒体で表現しようとした時点で「どちらでもない」んだから、「こういう解釈もあるのか/この俳優はこう演じようとしたのか」で良いのでは。そこであえて議論するその熱意がむしろすごい。
 
自分の趣味に絡めてみたけど、結局は色んな解釈が出来る余韻や間のあるものが好きだという話。虚構は自由に遊べるのままが良い。