Romanticism

バンギャと若手俳優追っかけと二足のわらじ

踊るなら何がいいかな

仕事の関係で、ご招待いただきまして。
月組エリザベート」観劇。
結論、すごくすごくすごく楽しかった。

宝塚ファンの友人から、事前に神公演だよと言われていたのと、席も良いところを割り当てていただけると知っていたから、満足度が低い訳がない。沼が我々をこまねいてる。むしろギャがヅカに堕ちるのなんて容易くない???それを見越して10数年来のギャの友人を誘って行った自分、よくやった。ハマりやすい2人は見事に堕ちた。色々とシンクロ率の高い友人なので、終わって赤絨毯を降りながら、「やばい、楽しかった…そして90年代感…」と言ってきたので、「わかる、圧倒的まりす感…」とすかさず返答していた。純粋な宝塚ファンの方からしたら、同列に並べるなとお叱りを受けるかもしれないけれど、別ジャンルであくまで位置付けしたいだけ、とご理解賜りたい。

正直ここまで刺さると思ってなかったから、自分でも少しびっくり。というのも実は初宝塚という訳ではなかったりするから。今回何が刺さったかというと、作品やジェンヌさんもあるけど、どちらかというと「タカラヅカ」という仕組みへの考察が深まったから。

生物学的性差と社会・文化的性差

所謂sexとgenderの違い。一般教養のジェンダー論や文化人類学の2回目くらいの講義でやりがちなテーマ。化粧したバンドマン追ってきた時点で明確ではあるけど、生物学的性差を超越した美しさ、大好き。うつくしいものは、うつくしい。それが天然モノであろうと、人工物であろうと。男らしさ、女らしさの表現にドキドキする。演じ抜かれた性差がそこにあれば、その瞬間はそれがリアルだし、演じ手が男でも女でも最早どうでもよくなーい?となる。頭が悪そうな書き方しかないのがとても残念。私の文章力の限界。とにかくトップコンビの絡みの耽美さといったらもう。色っぽい。こっそり誰かの恋愛を覗いているような良い意味での背徳感。

エス」の延長としてのタカラヅカ

私が「エス」について知ったのは、後輩から手紙をもらってるという話を祖母に話した中学生のとき。当時中高一貫の女子校で、学年を跨いで後輩たちから手紙等々をもらう日常が存在していて。同じく生まれも育ちも東京で、「ハイカラさんが通る」によろしく女学校に通っていた祖母が「エスってまだあるのね」と。そんな昭和前期、むしろそれより前からの文化を持ち出されても、と思春期の私は思った訳だけれども、前に宝塚で公演を観たときに印象に残ったのが作品そのものより出待ちで。それを思い出しながら、ああ、タカラヅカは「エスの延長」みたいだと思った。宝塚音楽学校という存在だけではなくて、タカラジェンヌとファンの関係が。タカラジェンヌたちはファンにとっては永遠の「上級生」なんだろうなと。恋ではないけど、それに似た憧れみたいな。

ご贔屓の見定め方

眩い世界をみて、魅力されながら、ファン皆さんはどうやって「ご贔屓」を絞り込むのだろうと疑問に思ったのも事実。その作品が良かったのか、組が良かったのか、特定のタカラジェンヌが良かったのか、特定の役が良かったのか。一体何回、何作品観たら自分の軸を絞り込めるのか。今回観たのが、トップ娘役の方の退団公演ということもあって、トップコンビやトップが永遠でないという切なさというか、刹那さ。トップ目当てだと、公演のメインで見られるという夢のような時期であり、退団されてしまうまでのカウントダウンの日々でもあるって、想像するだけで胸が張り裂けそう。あとは組替えも存在するなかで、各組のカラーをどうやって維持しているのかとか。考えれば考えるほど疑問は出てくるけど、私は知っている。誰に、何にハマるかなんて、色々考えたり、後で理由付けしたりするけど、結局気になった時点で始まっていることを。

エリザベートもしくは月組(ただの感想)

もうすぐに千秋楽ということで、好きに感想を書いてしまおう。
面白かった。全肯定ではなく、むむ?と思うところもあったし、初めは世界観についていけないと思ったのも事実。だけど、一幕の中盤からムズムズし始めて、幕間以前には堕ちていた。人間2時間半もある世界観を浴び続けると、自発的に肯定し始めるんだなと。これはあくまでもちょろい自分に対する自戒。
突然クローゼットから出てきて、「出て行って」と叫ばれたら、素直にドアから出て行くところとか、冷静に考えてちょっと理解出来ないし、無駄に棺の上でポージングしてるのも意味不明なのに、どうしてもトートが出てくると目が奪われる。分からないところを真面目に解釈しようとして、もがいて結局理解出来ないまま、でも放棄するどころか目が離せないみたいな矛盾の中で自分と戦って、見事に敗れ去る2時間半。あれだけ受動的な片想いをしていながら、なぜか自信に溢れている姿に疑問しかないのに、最後のダンスを踊る運命が私にも欲しくて仕方なくなる、トートマジック。
シシィも少女から女性、そして淑女になるからびっくりした。声も表情も全然違う。その演じ分けの凄さに娘役に嫉妬出来ず。トートにもフランツにも本当の意味で彼女を捕まえて幸せになって欲しいと願ってしまった。ここでも完膚なきまでの敗北。
そして個人的に1番気になったのは、ルキーニ。好き。緩急良い。狂人じみたところもあり、幕間明けの明るい曲での存在感。別の作品かと思うくらい雰囲気が違った。そして何より好みの顔。パンフにある稽古場の横顔をみて惚れないとかあり得る???私は無理だった。はい、ここで全面降伏。もう好きにして。

という訳で、気になって仕方ない宝塚。記憶を頼りに考察ばかり重ねても、好奇心が刺激されるだけなので、早速年明けにまた月組公演を観に行くことにしたよ!色々勉強して行こ。